2018/07/14

大阪市阿倍野区の一丁目1番地

阿倍野区名の由来は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説と、『万葉集』の山部赤人の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがあるが、豪族「阿倍氏」説が今のところ有力である。(ウィキペディアより)

写真は阿倍野区全町の一丁目1番地です。



阿倍野元町 Abeno-moto-machi
電車は阪堺電車


文の里 Fuminosato
阿倍野区役所前


万代 Bandai



三明町 Sanmei-cyo



旭町 Asahi-machi
今ではビルの陰になり通天閣は望めません


阿倍野筋 Abeno-suji
アベノハルカスビル


橋本町 Hashimoto-cyo



西田辺町 Nishi-tanabe-cyo



帝塚山 Tezukayama



播磨町 Harima-cyo



王子町 Ohoji-cyo



北畠 Kitabatake



共立通 Kyouritsu-dori



松虫通 Matsumushi-dori



天王寺町南 Tennouji-cyo-minami
ここは阿倍野区です

相生通 Aioi-dori




丸山通 Maruyama-dori




松崎町 Matsuzaki-cyo
JR天王寺駅近く



天王寺町北 Tennouji-cyo-kita
阿倍野区です



桃ヶ池町 Momogaike-cyo



長池町 Nagaike-cyo



晴明通 Seimei-dori
平安時代の陰陽師安倍晴明ゆかりの町?


昭和町 Syowa-cyo



美章園 Bisyoen



阪南町 Han-nan-cyo


2018/05/04

昭和残存 真田山陸軍墓地

真田山は大阪城の南にあり、大坂冬の陣に真田幸村が陣を築いた地で有名です。

この真田山に明治4年(1871)国帝国陸軍が設立した日本最大最古の陸軍軍人墓地があります。


構内は15077㎡に及ぶ広大な敷地に5000基以上あるそうです。



頭先が四角錐になった墓石が整然と並んでいます。




昭和20年の太平洋戦争終戦までは、当然ですが陸軍が管理していました。

が、戦後は公益財団法人真田山陸軍墓地維持会が管理されています。

戦後70年以上になりますが、墓石の風化が相当進んでいるようです。



2018/05/02

昭和残存 南海電車汐見橋線 木津川駅構内

南海電車汐見橋線は、開業当初は高野鉄道といい奈良県高野から汐見橋に通じていました。

奈良の吉野杉などの木材を大阪市内に搬出する役目があったようです。

吉野杉など材木は材木集積地であった木津川沿いに運ばれました。

その最寄駅が木津川駅です。

木津川駅には材木を下ろす専用のプラッとホームと貨車用の引込線がありました。

1960年頃まで奈良吉野の材木が搬入されていたようです。

今では汐見橋線は浪速区汐見橋―西成区岸里玉出間の線路となっています。

現在、汐見橋線の駅の一つの木津川駅は、一日の乗降客が2016年で114人ほどです。

大阪市の辺境駅と言われるそうです。

駅舎は 1900年9月3日完成で、明治、大正、昭和、平成と118年の時間を経ています。

<撮影許可済>

今でも貨車用の引込線の痕跡(廃線)が残されています。


2018/05/01

昭和残存 南海電車汐見橋線 木津川駅

木津川は大阪市を流れる淀川水系土佐堀川分流の一級河川です。

が、淀川の源流の一つ京都府の木津川の方が名が通っているようです。

南海電鉄汐見橋線に木津川という駅があります。

この南海電鉄汐見橋線は複線です。

始発から最終発まで平日、土曜日、休日そして通勤通学時間帯でも

一時間に2本の電車が運行されています。





古い駅ですが未だに駅前は舗装されていません。

かって駅前に多くの工場が有ったようですが、工場が撤退した後、更地のままです。

遠くにアベノハルカスが望めます。



2018/01/14

昭和残存 100年長屋

今年は昭和93年目になります。

戦時中の大阪大空襲などの被害が無かった路地を訪れました。

二階のベランダ手すりや玄関先の共同井戸が珍しく、時代を語っていると思い撮影していました。

すると長屋から年配の住人が現れて暫し歓談。

「この長屋古いですね」と尋ねると、もう100年以上になると話されました。

更に、この長屋が建った頃、ここで生まれたお祖母さんが昨年99歳6ヶ月で亡くなったとのでとの事。

壁とか玄関は修理などを経ていると思いますが、基本構造などは建築当時のままの様です。

そして、全ての家には人の生活感がありました。




ここは昭和ではなく大正時代が生きてる路地です。

2018/01/10

Expo2025-Osaka 大阪万博会場 此花区 夢洲

2025年大阪万博・・・夢洲の町名「夢洲中」「夢洲東」やっぱり気になります。

北港観光バス株式会社が咲洲(南港)の地下鉄コスモタウン駅から夢洲を通って舞洲に行って

コスモタウンに戻ってくるバスを運行しているのをネットで見つけました。

早速、夢洲撮影に行ってきました。

夢咲海底トンネルから夢洲に入ります。

夢洲ではバスの横を何台も大型トレラーが走っています。

交差点には横断歩道、歩道そのものがありません。

とてものんびりと自転車走行出来る状態ではありません。

自転車・歩行禁止の理由が良く分かりました。

夢咲海底トンネルから夢舞大橋までの風景は・・・

大阪市内にこの様な荒涼感あふれる風景があるんですね。

写真は夢舞大橋入り口の町名「夢洲中」の写真です。



2017/12/21

ポイ捨て

大阪に限らず東京や地方の街で見かけるのが「犬の糞」や「ポイ捨て」しないでの張り紙です。

かって放置ゴミが多かった大阪市内は、今では放置ゴミを見かけるのが少なくなりましたが。

大阪市内の下町で見かけた「ポイ捨てしないで」のメッセージは秀逸だとおもいます。


大阪弁になると和がでてきます。

それにしても、わずかなゴミでも掃除する身になれば確かにかないまへんな~

2017/12/16

昭和残存 モダンな長屋 


昭和初期に建てられたと思われる四軒長屋の二棟。
戦時中のアメリカ軍による大阪大空襲でも焼けなかったようです。




大正ロマンを引き継いだような二階の窓とベランダの造作はとてもモダンだと思います。



建築当時の大阪庶民の心意気を感じます。

近いうちに取り壊しになるのでしょうか?

各戸の門柱には立ち入り禁止のチェーンが架けられています。



2017/11/28

大阪一丁目1番地 日刊建設工業新聞記事 


11月1日出版した写真集「大阪一丁目1番地」の紹介記事が

日刊建設工業新聞に載りました。

©日刊建設工業新聞






©日刊建設工業新聞






©日刊建設工業新聞


 
 
 


              no.010 SUPER: A MAGAZINE ON CONTEMPORARY CULTURE / OSAKA




2017/11/10

大阪市内の野生動物・・イタチ

夜な夜なベランダのプランターを掘り起こしベランダを散らかす輩が出没しているようで

した。

結構、野良猫が来てるのを目撃していましたので、懲らしめのためにネズミ捕りを仕掛け

ました。

あくる日、野良猫が捕まったと思いましたらイタチでした。

大阪市内の町中でイタチが簡単に捕獲できるとは。


今回で三回目(三匹目)のご対面です。



イタチはとても可愛い顔をしてるんでペットにでもと思わないでもありません。

しかし、ペットにしたという話は聞きません。

理由は、なんと言うか、戸を開けたとたん強烈な臭いに・・・

捕獲禁止動物なので近くの運河土手で釈放したのですが、イタチが居ないベランダは終日

の悪臭が消えません。

2017/10/31

TOMATO FOTO HOUSE


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赤茄子光画館は写真集発行所 <TOMATO FOTO HOUSE> のプログです。
Here is the blog of the photo book publishing office <TOMATO FOTO HOUSE>.




問合せ先:TOMATO FOTO HOUSE
E-Mail:tomat8kv@gmail.com 
担当:内藤

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VIEW OSAKAシリーズは下記書店でも販売しています。

東京都内:東京都写真美術館 ミュージアムショップNADiFF BAYTEN

大阪市内:建築図書専門店 柳々堂

京都市内:CROSS RHYTHM(クロスリズム)
      古いもの、うつわ、アートと手しごと
http://crossrhythm.net/

AMAZON、楽天などの書籍通販で取り扱い有る様に表示されますが
本書ネット通販はしておりません


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copyright TOMATO FOTO HOUSE /Tomatsu Shiro

2017/08/11

昭和残存 時計の止まった街


かって近隣の工場で働く勤労者が多く住み、大阪市内でも有数の人口密集地であったこの

地区は、工場の撤退で子育て世代が少なくなり高齢者が住む街となりました。

大阪市中心部のようにマンションが建ち若い世代が多く住む街になる様子もありません。





時計屋さんが店を廃業し、看板であった大時計も4時前を指したまま動きません。

午前の街風景ですが・・・

2017/08/05

昭和残存 子供が消えた町

8月の上旬、学校は夏休み。

小学生、中学生は夏休みの宿題で忙しくて街に出てこれないのか。

大阪市街を歩く人々は一見高齢者ばかりの様です。

その内の私が一番若いのでは?と、思ってしまいます。


気温は36℃になると天気予報。

気象予報士は「熱中症対策を!」と叫んでいました。

2017/05/21

大阪市大正区のイスラム風&モスク風な仏教寺院 Part2


以前紹介した大阪市大正区に建てられたイスラム風&モスク風な仏教寺院が

完成したようです。


 浄土真宗本願寺派「浄泉寺」『彌陀院』



彌陀院玄関先の落成慶讃法要の掲示案内状



2017年5月20日の写真です。
表門左側に「彌陀院」と表札がでてます。



2017/05/12

昭和残存 タイムカプセルな大阪

JR大阪環状線外側には第二次世界大戦で大阪大空襲に遭わなかった地域があります。多くは木造住宅密集地として残っています。

戦前からの木造住宅に、戦後建てられた木造二階建瓦葺モルタルアパート(文化住宅)などが混在する地域は人口密集地でもあり庶民の生活が色濃く反映されている地区でもあります。

戦前の昭和と戦後の昭和が混在する木造住宅密集地区に付随する商店街は昭和20年代から40年代にかけて物凄い熱気と躍動感があったと思います。

三枚の写真は現在平成の大阪ですが、映画のセットのような昭和の匂いが残っています。


 街で見かけるのは高齢者が多いです。

 お風呂屋さんも結構残っています。

 商店街です。
殆どの商店が閉まっています。
貸し店舗の案内がありますが案内看板自体が年代物の様になっています。

 飾り付けが昭和の面影?



 残念ながら、これらの木造住宅密集地は、若い子育て世代が少ないようです。


そして、玄関や郵便受けがガムテープで塞がれていたりして
結構空き家が目に付きます。

 


大阪市はこれら老朽木造住宅密集地の防災・減災対策推進に、
住宅立替支援をしています。

いずれマンションなどの防災住宅になり、
近い将来、街の姿が大きく変わるとのでしょう。

 こうした昭和の匂いを残す静かな地域こそDEEP OSAKAだと思いますが・・







2017/04/29

「都市のスポンジ化」

地方都市ばかりではなく、大阪市も空き家や空き地が不規則に発生し

空洞化する「都市のスポンジ化」が進んでいるようです。





上の写真はJR、私鉄、地下鉄の駅が近くにある木造住宅密集地です。

袋小路を入ると奥に空き地がありました。


下の写真は、また別の場所ですが、路地を入ると空き地がありました。

古い住宅には「売り家」の不動産看板が掲げてありますが。

右奥に見える路地は人一人通れる程度の幅でした。


少子高齢化は即人口減でもあり、必然的に空き家が増えることになると聞きました。

空き地に、新たな住宅が建設される、古い住宅が建替えられる・・・

昔の賑わいを取り戻すことが出来るのを期待するのは現状難しいかもしれません。


2017/04/18

大正区のモスク様イスラム風寺院は仏教系の寺院!?

大阪大正区は沖縄の風情があります。

そんな大正区にイスラム風モスク寺院が建設されています。

写真を撮影した時は完成間近?な様子でした。




大正区を夕方散策していていると時々沖縄の三線や島歌が聞こえてきます。

そんな大正区で、イスラム系の人を見かけた事がないのに。

このモスク寺院が完成するとコーランを唱和する声が聞こえてくるのでしょうか?

このモスク寺院を始めて見た時、ナンダカンダと大正区も国際都市になってきたんだと思いました。

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後日、この建物が『浄泉寺千島院(仮称)』という施設だと聞きました。

浄土真宗本願寺派「浄泉寺」さんが施工主だそうです・・・

2016/09/01追記

ある方から築地の本願寺もモスク調です。本願寺派は、どこもこういう感じ?

http://tsukijihongwanji.jp/

と教えていただきました。

コーランではなく「正信念仏偈」のお経が聞こえてくるんですね。

2016/09/02再追記

下の写真は写真集「VIEW OSAKA THE DOME」に収録したものです。

この 『浄泉寺千島院(仮称)』近くのマンション最上階から見た風景です。

なんとなくモスクの様に見えてたんですが、意外と仏教に近い風景?



2019/10/14追記



2017/03/30

昭和残存 瓦葺き木造モルタル二階建住宅(文化住宅)

瓦葺き木造モルタル二階建住宅は戦後間もない日本の独特な住居となりました。

労働集約型産業地帯近くに労働者の住宅として、日本各地に普遍的に建てられました。

関西ではこの住宅を「文化住宅」と名づけられ一般名詞?になっています。

写真集「VIEW OSAKA HOUSES」はこの「文化住宅」の多くを掲載しています。

写真のように狭い敷地、狭い通路で建てられた「文化住宅」が殆どです。


正面から正対撮影できる「文化住宅」は少なく,真正面から正対撮影できる「文化住宅」は珍しいです。


瓦葺き木造モルタル二階建住宅(文化住宅)は、昭和という一つの時代の遺産であり、
将来同じような木造住宅が建てられることは無いとおもいます。

2017/03/24

大阪市の耐震・密集地市街整備(2)

大阪大空襲に遭わなかった地域は古い住宅が残っていたという事ですが、戦後70年過ぎればやはり当時の木造住宅の老朽化は避けられないのでしょう。




大阪市は積極的に老朽木造住宅密集地の減災・防災に向けて建替えを推奨しています。

老朽木造住宅密集地で育った若い人は、新しい住宅を求めて街を離れていくようです。

結果、後期高齢者の割合が特段に大きくなるようです。



かっての木造住宅密集地の建物は撤去されました。




跡地には若い人を呼び戻す為に近代的なマンションが建てられるのでしょうか。

昭和の匂いが少しづつ消えていきます。



2017/03/04

大阪市の耐震・密集地市街整備

大阪市は「耐震・密集地市街整備地」として10地区を選定し、積極的に老朽木造住宅の建替え補助を推進しています。

これは、4m未満の狭あい道路に面した昭和25年以前に建てられた木造住宅の解体費の補助などです。現在では更に補助の基準緩和がなされています。

細い路地に向かい合わせに立つ長屋や賃貸木造アパートなどが軒を連ねています。
地震や火事になっても消防自動車・救急車が入れないようです。




フェンスに囲まれたこの更地には沢山の老朽木造住宅が路地を挟んで有りました。まだ残っている一軒の建物の壁に軒を連ねていた長屋の跡が見受けられます。 ここには奥に見えるような鉄筋高層集合住宅が建つのでしょうか。



路地の両側に建っていた木造アパートの左側には防災型住宅?が建ちました。白いフェンスが無ければ充分に消防自動車が入れそうです。


古い木造住宅が建っている地域は懐かしい昭和の匂いがしますが、安心・安全な生活には不向きです。

密集地市街は近い将来、耐震・耐火に配慮された高層集合住宅に置き換わっていくでしょう。

2017/02/06

タワーマンションと路地

大阪市内中心部の駐車場などの広めの更地に超高層というかタワーマンションが建ちます。

景気が良いというか需用があるから建つのでしょうね。


大阪市内中心部で、路地の奥の住宅密集地の地跡にタワーマンションが建ちました。



手前の路地も何時かは更地になりマンションが建つのでしょうか。

余談ですが、超高層タワーマンションで、高層階エレベータを利用する住民と低層階エレベータに乗る住民の間で微妙な感情があると聞きましたが。

2017/01/28

中央区北浜一丁目1番地

政治関連のニュースで、政策の「一丁目1番地」は・・・と耳にします。

これは、「一丁目1番地」は政策の最重要優先課題という意味なんでしょう。

住所表示で夫々の町名の「一丁目1番地」はトップナンバーを背負う町を代表する特別の意味があると思っていました。

大阪市中央区北浜は大阪取引所を中心とした金融街で、この北浜一丁目1番地はさぞかし賑やかなビジネス街だと想像していました。

が、実際は阪神高速ガード下の建物がある場所でした。



原則、大阪市の町名番地の付け方は、条例で道路、水路、鉄路そして恒久的な施設を町界として、丁目番地の数字順は一番大阪城に近い所から順に決められています。

従って、北浜の大阪城に一番近い「一丁目1番地1号」は写真の場所になります。

政治の世界と実際の町の「一丁目1番地」の意味合いは随分違和感があります。