2016/02/18

天王寺区 下味原町

鶴橋駅は近鉄とJRと地下鉄の3っの駅の名前です。

鶴橋は大阪市生野区鶴橋の町名です。

近鉄鶴橋駅は1914年に開業し、生野区鶴橋2丁目が表示住所です。

JR環状線の鶴橋駅は1932年、地下鉄鶴橋駅は1969年に天王寺区下味原1番地を表示住所にして駅開業しています。

本来ならJRと地下鉄の駅名は「下味原駅」?

これでは乗換えが不便なので先輩の「近鉄鶴橋駅」にあやかっての「鶴橋駅」となったのかな。


写真には地下鉄の入り口も写ってます。見えますかね~?




それにしても、堪りません。夕方から近鉄やJRのホームに居てると焼肉の煙と香りがしてきます。


大阪市天王寺区下味原町1番地で

2016/02/17

超精密描写絵画家 RICHARD ESTES

たまたま入った古本屋。

写真コーナーで見つけた街風景写真集?

表紙や書中のカラー写真を視ると近代的な都市の街風景が載っています。



 


前書に載っていたウジューヌ・アッジェとウオーカー・エバンスの写真からこの著者もアッジェやエバンスの写真を参考にしてるんだと思い購入を決めました。



写真を視ているとどうも変です。

ショーウインドウに写り込んだ街角がとても綺麗。

渋谷の街角の写真を視て看板の書体が変。

改めてTEXTを読むと・・・カラー写真だと思っていたのが全て「絵」でした。

RICHARD ESTESは絵画の世界で超精密描写絵画の大御所でした。

知らなかったとは言え・・・・写真コーナーに置かないでよ!(赤面)

本は1990年、日本で開催された「RICHARD ESTES展」の図録です。


2016/02/15

大阪市此花区桜島 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ)

今、大人気の桜島のUFJ

桜島周辺は明治中期より工場が相次いで建設され、昭和末期まで、阪神工業地帯の中心的地位を担っていました

1980年代以降は、工場の地方・海外移転などが進み、貨物駅や工場が廃止され、工場跡地の空き地が増え寂しい風景がありました。

そんな中、2001年ユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJが開業され、今では世界からの来訪者が訪れ、「USJ」はとても賑わっています。

昼間の写真の「水防予備倉庫」の場所が桜島一丁目1番地です。



左奥に見えるベージュ色の建物がユニバーサルスタジオの「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」の建物背面だと思います。

右側は阪神高速湾岸線です。 


夕方の写真は、国道43号線の安治川に架かる橋から見た、夕方の眺めです。



安治川水門アーチと、その向こうにユニバーサル・スタジオ・ジャパンのホテル群です。


2016/02/11

浪速区 道頓堀 湊町リバープレイス



道頓堀川の「湊町リバープレイスウッドデッキ」です。


 「湊町リバープレイスウッドデッキ」の本体は八角形の独特な建物です。

音楽・パフォーマンスイベントや展示会に幅広く使用されています。

写真のウッドデッキを下りると道頓堀川を航行する遊覧船の湊町船着場です。

 大阪市浪速区湊町



2016/02/09

大阪市港区海岸通

天保山というと何となく古いイメージを持ちますが、

海岸通となるとお洒落に感じます。



貯金箱や自動販売機の硬貨投入口が細なが~い四角形をしている理由が実感できます。

港区海岸通一丁目

2016/02/07

天王寺区舟橋町


写真は東成区から見たJR大阪環状線高架下、天王寺区舟橋町1番地です。

この辺りの地形は上町台地の東側になります。



この「舟橋」と言う地名ははもともとの地名「舟走」が→「ふなばしり」→「ふなばし」→「船橋」になったとの事ですが・・・・確認してません。

上町台地の東側が、海から陸地になったのは何時ごろか分かりませんが、遠い昔に舟で上町台地東海岸にやって来た名残が「舟走り」と言われるのかもしれないと想像しています。

JR大阪環状線のこの辺りが天王寺区と東成区の境界です。

<参考>
6000年前の大阪の地形は↓のブログ「なにわまナビガイド」をご覧ください。

      http://www.nmguide.jp/outline/

2016/02/05

大阪市西成区 「都市の遠近」

1990年発行の築地仁「都市の遠近は、東京神田神保町の古本屋街へ行き、「魚山堂」で買った本です。



表紙の写真は1989年、西成区「釜ヶ崎」地区界隈だそうです。

本に掲載されている写真は、多くの人が求める大阪の「場所が持つ雑多」なイメージは無くとてもスマートです。

これはこれで、1989年の「大阪風景」でしょう。


「都市の遠近」に掲載されてる写真も東京国立近代美術館に所蔵されています。
本で見る写真は印刷の関係でクオリティーが低く、是非オリジナルプリントで視たいとおもいます。



この写真は表紙の写真とほぼ同じ場所、西成区の2015年12月の写真です。

2016/02/03

天王寺区 国分町


その昔、国分寺があったことから国分町と名づけられたそうです。

由緒ある地区なんでしょう。

実際に国分町に国分寺というお寺がありますが、聖武天皇勅願の国分寺かどうかは確認していません。



現在、国分寺1番地の全てがJR大阪環状線高架下です。

2016/02/01

大阪市北区 堂島浜

東京中央区にある「日本橋」は日本橋川に架かる有名な橋です。

この橋の上を首都高速が通っています。
この首都高速を撤去して「日本橋に青空を!」という声が有るのを訊きました。
一方、首都高速を撤去しても「日本橋の上の高架を日本産業遺産として保存を!」と言うのも訊きました。

大阪にも東京日本橋のような所があります。

大阪市北区の町「堂島」と堂島川にはさまれた「堂島浜」と言う町があります。
「堂島浜」は多分、江戸時代に米を運ぶ船が米を陸揚げする「浜」が堂島に近いから名づけられたのではと想像しています。

現在の「堂島浜一丁目1番地」は御堂筋の大江橋北詰西側の銀行と堂島川の間にあります。堤防の影、阪神高速1号環状線の高架下となっています。

夜には中途半端なライトアップが高速道路に・・・(個人の感想です)



多分に「堂島浜」に番地を付けたのが戦後の事だろうと思うのですが、なんで植え込みしかない所をトップナンバーの「一丁目1番地」にしたんですかね。

それにしても高架下、ガード下に「一丁目1番地」多すぎません?

2016/01/31

東京都千代田区北の丸公園3番地

東京国立近代美術館に行きました。


で、東京国立近代美術館は千代田区北の丸公園3番地にあります。

この美術館の入り口横の写真です。

3っの住所標識はどうみても3番地の門柱のような所に掲げてあるんですよ。



3番地に4,5,6番地の住所標識を並べて・・・何の為の住所標識?

意味有るんですかね???

東京都千代田区北の丸公園3番地で

2016/01/29

浪速区 戎本町

お正月が終わるとすぐに十日戎(とおかえびす)という祭事がやってきます。

大阪の商売繁盛の神様「えべっさん」の今宮戎神社は、大阪市浪速区にある神社です。


この今宮戎神社の所在地は浪速区恵美須西1丁目6番地です。

なんですが・・・町名「恵比寿西」の南西隣に「戎本町」という町名があるんです。

「戎」も「恵比寿」も同じ意味で、「戎本町一丁目1番地」に今宮戎神社が鎮座しているの

なら字面からも「なるほどね」と言えるんですが・・・



しかし、「戎本町一丁目1番地」は南海電車南海本線高架の真下なんですよ。



2016/01/24

阿倍野区昭和町

地下鉄御堂筋線の新大阪駅から梅田駅方面へ行く最初の駅は「西中島南方駅」です。

「南方」は町名「西中島」の古い地域名だそうです。

当初、先に出来た阪急電車「南方駅」乗り換え最寄り駅ということで、地下鉄も「南方駅」に命名の予定でした。

しかし、地下鉄の駅が出来る町は西中島という町名で、やむなく「西中島南方駅」と最終決着がつきました。

町名と地域名が二つ入った駅名の全国最初の例だそうです。


話は代わりますが・・・

阿倍野区昭和町一丁目1番地を探して街中をウロウロしたのですが、見つかりません。
近くまで行くのですが、たどり着きません。

阪神高速松原線の高架下に地下鉄谷町線「文の里駅」があるのですが、てっきり「文の里駅」は文の里町内とばかりと思ってました。



なんと、「文の里駅」の所在地は昭和町一丁目1番地です。

いくら昭和町を通る御堂筋線の駅名が既に「昭和町駅」だといって遠慮せずに、谷町線「北昭和町駅」にすればと思います。

梅田には地下鉄の駅名だけでも「梅田駅」、「東梅田駅」、「西梅田駅」とあるのに。

阿倍野区役所が文の里にあることから行政が区役所に近いからと「文の里駅」にしたのではと妄想しています。

「西中島南方駅」は西中島地域住民の強い郷土愛が行政を動かしたのに・・・

それにしても、大阪市は高架下に一丁目1番地が多くないですか?

2016/01/22

中央区道修町

大阪市中央区道修町は薬の町です。

江戸時代から薬問屋が集まり、今でも関西メーカーと業界で言われる製薬会社の多くが本社を置いています。

この道修町一丁目に関東メーカーが関西メーカーの聖地に乗り込むように第一製薬や三共が大阪支店を置きました。

写真は2005年頃の道修町一丁目です。

第一製薬の社章が見えます。



二枚目の写真は現在の道修町一丁目1番地1号に建つ第一三共大阪支店別館です。

 道路を挟んで本館が建ってます。


大阪市中央区道修町一丁目

2016/01/20

オランダ国ライデン市  和歌・俳句

オランダライデン市の写真の整理で出てきた日本関係の写真です。

町を散策していると壁に落書き?

日本語のスプレー落書か?!

旧市街地のビルの壁に色々文字が書いてあります。



知人に聞いたら、ライデン市はビルの管理者の協力を得て、古今東西の有名な詩を原語で紹介しているそうです。

日本語、オランダ語、英語、ドイツ語、ラテン語?等々

因みに中国語、韓国語は見かけませんでした。(無いそうです)

李白や杜甫の漢詩が有ってもよさそうですが・・・

で、日本語で書かれた壁の詩は芭蕉の俳句と菅原道真の和歌でした。

丁寧に解説のパネルも脇に貼ってあります。







ついでに、植物園の中にも日本語で「ボケ」まで・・・・?

じゃなくて、木瓜の花 バラ科です。






なんでも、シーボルトがオランダに持ち込んだ木瓜の木の直系子孫だそうです。

パネルの左下のデザインはシーボルトが日本で使っていた「家紋」との事。

オランダ国ライデン市

ライデン市と大阪市の高層住宅

写真を整理していたらオランダの夜の写真が出てきました。

夜の写真は3月2日、オランダ ライデン市のアパートメントビルの写真です。





夜10時ごろ、知人(日本人)の家からホテルに戻る時に撮りました。

昼間の写真は、大阪市の10月26日の写真です。



オランダの人は早春といえどもまだ冬の状態なのに、ましてや深夜に近いのに、殆どの部屋のカーテンを閉めていません。

大阪の人は秋なのに完全に目隠し?状態です。

どうしても気になったので、オランダから帰国した件の知人に、「なんでライデンの人は夜になってもカーテンを閉めないの?」と理由を聞きました。

返答は・・・・

オランダは緯度が高いので夏でも太陽の位置が低い。

なので、部屋の中に太陽光が差し込まないように昼間カーテンをする事もある。

夜は当然太陽光が無いので、まずカーテンを閉める理由がない。

基本、オランダの人は部屋の中が外から見られることに抵抗が全く無い。

と、言うか見せたいのでよっぽど理由が無い限りカーテンを閉めないのでは。

本当かな~?

オランダの写真から、部屋の家具や壁の絵などのインテリアの様子がよくわかります。

2016/01/19

大正区三軒屋西 尻無川左岸


2013年4月の尻無川左岸の写真を見ると、手前の建物には星条旗が掲げられています。



アメリカ風のレストランだったと思います。

2016年1月に同じ場所を通ると、とってもカラフルになっています。




店内を覗くと絵が掲げられていました。

絵画ギャラリーになったようです。

大正区 三軒家西 尻無川左岸で

2016/01/18

大正区 中山製鋼所転炉工場

小川未明の童話「眠い町」をご存知ですか?

中山製綱所に「砂」がかけられた結果だとは思いませんが、なぜか童話「眠い町」を思い出しました。




既に建屋の半分は撤去されています。


今年の3月中には残っている建屋も解体されるようです。

映画「ブラックレイン」の撮影舞台にもなった工場が消えていきます。



写真は解体中の中山製鋼所転炉工場です。

大阪市北区中津

画家佐伯祐三の故郷は大阪北区中津です。

佐伯祐三の絵は故郷中津の雰囲気を引きずってると私は思ってます。

写真は阪急電鉄三路線高架橋下の中津一丁目の様子です。

写真の右側から阪急電車京都線、宝塚線そして左端に少しだけ写ってるのが神戸線です。




この線路沿い南側に国道176号線の高架が併走しています。

二枚目の写真はこの国道176号線高架下です。



多くの写真家がこの不思議な空間を撮影し、作品化しています。

二枚目の写真は2009年の撮影ですが、今では高架下のユニークなお店等が高架耐震工事?の為に退去してると聞きました。

フォトジェニックな街角が消えるのは寂しいですね。

大阪市北区中津で

2016/01/17

阿倍野区 桃ケ池町



阪神高速松原線は1980年(昭和56年)に全線開通しました。

この松原線は阿倍野区を通って松原市に通じています。
阿倍野区の高速道路高架下に桃ケ池町という町があります。

桃ケ池町名は、町内に古くから所在する古池の股(もも)ケ池が由来だそうです。「股(もも)」の字を「桃」の字に変えて名付けられ、股ケ池の池の名も桃ケ池に替えられたそうです。

桃ケ池町に行ってきました。

住所表示が無いので地図からの類推ですが、現在の桃ケ池町一丁目1番地は写真に写ってる高速道路高架下の駐車場のようです。






大阪市内の町名で「一丁目1番地」の幾つかが、高速道路高架下、国道高架下あるいは電車線路高架下に見受けられます。


大阪市阿倍野区桃ケ池町一丁目1番地で

2016/01/16

大阪市中央区南新町

街中を歩いていると、自分の姿がガラス窓や鏡に映ってると「ぎょ!」です。

鏡に映った自分が右手を挙げると、鏡の中の自分は左手を挙げてます。

なぜ鏡の像は左右反転して、上下反転しないのか?

この答えが、人間の目が横に付いているから。

と、笑い話にありました。

でも、両目が縦に付いていたら、上下反転する?

じゃ、片目というか一眼で見たらどうなるの?

その答えが・・・

一眼レフカメラで撮影しました。



文字は反転してるのと反転してないが映ってる???

街中はワンダーランドです。

大阪市中央区南新町一丁目一番地で

因みに、鏡面像は左右反転ではなく前後反転です。

2016/01/13

【浪花光画図録 北区中之島】 中之島上流・下流剣先


パリの中心部を流れるセーヌ川の中洲にあるシテ島( Île de la Cité)は、パリ観光地の定番の様です。

大阪にもシテ島を凌駕する中之島があります。
大阪市北区にあり中之島一丁目から六丁目まであります。

中之島は旧淀川の中洲で、堂島川と土佐堀川に挟まれ柳眉のような形をしています。


市役所も図書館も公会堂も美術館も博物館も大学も国際会議場もホテルも大劇場も、それこそ色んな物があります。

中之島最東端の一丁目一番地は公園として整備され、放水銃のような剣先噴水があります。



剣先噴水は30分毎に放水され、これを見学する遊覧船が写真のように運行されています。

一方、中之島最西端は中之島六丁目で、普段は何も有りません。
ところが、東端に負けないようにとは思いませんが、西端に大小便小僧が設置されました。

趣旨は川の環境保全のイベント祭の一環だったと思いますが・・・(?)

大小便小僧が設置された下の白い箱の中で、希望者に自分のオシッコの勢いを大小便小僧に400倍に再現させるのを白い箱の窓から眺めるというイベントでした。

希望者は男性だけでなく女性もOK!でした。

男性も女性も子供も嬉々として楽しんでいました。



でも、若い人ばかりが参加していて、四捨五入70歳の私のような男性は参加していません・・・・・あこがれますよね~!


大阪市北区中之島一丁目東端・六丁目西端で
(大小便小僧のイベントは2013年の秋開催でした。)

【浪花光画図録 浪速区幸町】



浪速区幸町は道頓堀川の南側、四ツ橋筋から木津川まである細長い町です。
一丁目から三丁目まであり、材木関係の会社や店が多く有ります。
昔より道頓堀川が木材の運搬に利用されていた結果だと思います。
今では写真に見るように、幸町と道頓堀川は堤防で分離され堀川の役目は終わっているようです。



今の浪速区幸町は1943年(昭和18年)市内の区の境界見直しにより西区から浪速区に編入されました。

編入された当初は「幸町通」でしたが現在は「幸町」です。
なぜ「幸町通/幸町」なのか幸町の歴史的命名の背景は分かりません。

「幸町通」の一つ南側の通が「千日前通」なのでその関係かと想像してますが、写真で見る限りごく普通の街並みです。



幸町は浪速区に編入された時から、西区にある「日吉小学校」、「堀江中学校」が校区となっています。
行政区をまたいだ校区は珍しいかもしれません。
これは、道頓堀の橋を渡って直ぐの「日吉小学校」、「堀江中学校」に今までどおり通学させたいという幸町住民の意向を忖度した結果かもしれません。

浪速区幸町で

【浪花光画図録 大正区 文化住宅】



文化白樺荘と「文化」を明記した木造アパートは消えました。

ここに「文化白樺荘」が有った記憶は数年もすればフェードアウト?

写真の力は記録・・・期待したいです。






大阪市大正区

大阪の黒猫

写真を撮ってると足下を何かゆっくり動く黒い物が・・・

尻尾に10円禿を付けた黒猫様。




おっさん・・・何か文句有るかい?

いや別に無いけど・・・もうすぐお母さんになるんでしょうが。

ふん!





悠然と去っていきました。

大阪市西成区で

2016/01/11

中央区 内久宝寺町

以前、紹介した内久宝寺町一丁目の怪しい建物の事です。

やはり気になるので昨日現地に行きました。

建物をあっちこっち詳細に眺めても手がかりがありません。



ちょうど自転車を押して通りかかった男性に聞きました。

「この鉄格子いっぱい有る建物なんだったんですかね~?」

「麻薬とか覚せい剤で捕まった人が連れてこられた建物と聞いたことある・・・詳しいことは分からんわ」と、そそくさと去っていきました。

建物の裏を撮影していると年配の女性が通りかかりました。

「この鉄格子の有る建物なんだったんですか?」

不審人物見る目で「昔、麻薬関係の事務所だったけど10年程前から空家みたい・・・」と教えてくださいました。

家に帰って、調べてみたら、どうやら「元近畿厚生局 麻薬取締部」の建物でした。

2015/12/21

北区 阪急百貨店と大阪富国生命ビル

阪急百貨店うめだ本店と大阪富国生命ビルとの間の横断歩道。

殆どの人が左から右へ・・・・





右から左へ移動する人は??

それに、シマシマに直角に渡る人がいません。

2015/12/17

福島区 大開

松下幸之助は、1917年6月大阪東成区でソケットの製造販売を始めました。

そして、翌年の3月に福島区大開二丁目で法人「松下電気器具製作所」を設立しました。

言うなれば、大開二丁目は「PANASONIC」創業の地のようで、記念碑もあります。

PANASONICに入社した新入社員の皆さんは創業地訪問はされるんでしょうか?

写真は大開一丁目の交差点ですが、真ん中の信号機の上部に「野田阪神前」の表示が掲げてあります。



交差点名は住所表示と違って、地名町名に限らず広く認知されている表示であればどんなんでも構わないようです。

なんですが「野田阪神前」という表示は少し変だと思ってます。

確かに、大開一丁目の向かいは阪神電車「野田駅」ですが、「阪神野田駅」でも「野田阪神駅」でもありません。

そして、地下には大阪交通局地下鉄千日前線の駅があります。

この地下鉄の駅名がなぜか地下鉄「野田阪神駅」です。市営なのに・・・

そもそも、写真の場所の「大開」の近隣町名は「海老江」、「鷺洲」そして「吉野」で、町名
の「野田」は結構遠く離れているんですよ。

大阪市福島区大開で

2015/12/15

【浪花光画図録 福島区野田】



大阪市福島区の町名は7つしかありません。

隣の北区には54の町名、天王寺区45、中央区にいたっては73もの町名が有るのに福島区はたったの7つとは・・・非常にすくないと思います。

写真は「野田一丁目1番地」です。

この福島区「野田」の町名は1975年(昭和50年)、9つ有った旧町名を纏めて新町名「野田」となりました。


これは、昭和50年「住所の合理化」の時、江戸時代、現在の福島区、此花区辺りに「野田村」が有ったことから夫々の町名継承を訴える住民をいなす為に「野田」を復活したのでは?と、勝手に想像しています。

それにしても、北区、中央区、天王寺区には「丁目」の無い町名が沢山有るのに。
「野田」は一丁目から八丁目まであります・・・・「丁目」多すぎません?

写真は福島区野田一丁目1番地にある大阪中央卸売市場です。



早朝の競(セリ)に向けた真夜中風景です。

2015/12/13

浪花光画図録 此花区梅町


「名は体を現す」と言います。

名前をつける時、「体」に相応しい名をつけるというのが名付け親の優しさだと思います。

大阪市此花区に「梅町」という町名があります。

地形は大阪港に突き出した所で、ネジを締める「レンチ」のような形をしています。
 

この「レンチ」の頭の辺りが「梅町」です。

ここは「梅」の産地で梅木がたくさん植わっています・・・・と紹介したいのですが、「梅町」の何処を探しても「梅」に関連するものが見当たりません。

目にするのは工場、倉庫などの工業系、運送系の建物ばかりです。
なぜ「梅町」と名づけたのか?

調べても分かりません。

ここからが、想像ですが・・・・

新しい土地に町名をつけることになり、町名を公募するにも住民もいないので此花区の区長さんや大阪市の偉いお役人がさほど深く考えもせず、隣町が「桜島」 であったので「梅島」でいいやんと事務方に指示したのを、事務方のお役人が聞き間違えて「梅町でっか?」「ああ~そんでもええわ」となんとなく決まったのではと。

桜島は人気のユニバーサルスタジオジャパン(USJ)がありますが、梅町に特段の名所はありません。



大阪市此花区梅町一丁目1番地で

2015/12/02

北区大深町 うめきた

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”あやかり”はちゃかっり自分のものにするズッコイけど憎めないイメージがあります。

その遠い昔、今のJR大阪駅近辺の地名は「深田(ふかだ)」と言われていたそうです。

その理由は、耕作に向かない低湿地というか沼地のような「深田」であったから。

この深田を埋め立てて耕作地になったので、暫く「埋田(うめだ)」と言われていた。

しかし、「埋田」は字面が悪いということで、近くの大阪天満宮の梅にあやかり、「梅田」というようになったようです。

現在も「深田」という地名の名残は「梅田」の北側、JR大阪駅の北側に「大深町」として残っています。

最近、大阪駅の北側を再開発して「グランフロント」という大きな商業施設が出来人気のエリアとなってきました。

そして、この人気エリアを愛称「うめきた」と呼ぼうと命名されました。

理由は「大深(田)」ではダサいので、誰でも知っているビックネームの梅田にあやかり、「梅田」の北側の意味で「うめきた」決まったそうです。

なんか、本名「大深田」芸名「うめきた」と言ったところでしょうか?



大阪市北区大深町1丁目1番地の「ヨドバシカメラ梅田店」

写ってませんがヨドバシビル裏がグランフロント地域です。

大阪市北区芝田

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”あやかる”に比べて“なりすまし”は何となく・・・・を感じます。

あくまで、個人の感想ですが(汗)

阪急電鉄「梅田駅」は大阪市北区芝田一丁目1番地2号が住所です。

住所は玄関・門が基準になるので阪急梅田駅は写真の所が玄関なんでしょう。

たぶん、「1番地1号」は道路拡幅工事で接収され、歩道になったのかな?

写真の真ん中辺りに、緑地に白抜きで「芝田一丁目 1」の住所表記が掲げてあります。

なので、駅にある商店街は「阪急一番街」?

しかし、なぜか、玄関壁に「阪急三番街」という看板が出ています。



この「阪急三番街」が出来たのは1968年の大阪万博の直前で、出来た時近代的なとてもお洒落な地下街でした。

最地下の食堂街には人工の川があります。

完成当時、ここは 丁目のない「北区小深町三番地」で、地名の「三番地」をもとに「阪急三番街」と名づけられたようです。

完成早々、ここ を訪れた私はまだ20歳、大阪万博が開催され、来るべき新しい時代を如実に感じたのを思い出します。

写真に写る看板のように、この阪急の駅はなぜか「阪急梅田駅」と呼ばれています。

「阪急梅田駅」南側にある阪急百貨店の「阪急うめだ本店」は「角田町」、「阪急梅田駅」は「芝田」・・・・・何処にも「梅田」に縁がないのに「阪急梅田」です。

昔、大ライバルだった阪神電車「梅田駅」は正しく「梅田三丁目」にあります。

ビックネーム「梅田」にあやかりたい、「阪神梅田」に対抗したい・・・一種の”なりすまし”?

阪神電車梅田駅開業:1906年

阪急電車梅田駅開業:1910年

尚、北区小深町は1970年代に町名変更で「芝田」になりました。

今の「芝田」の西隣町は「大深町」です。

大阪市北区 角田町

大阪市北区「角田町8番地」と聞いて・・・何を思い出しますか?

「あ~あそこね」と即答できるのは、不動産関係者の方か、角田町で働いている方ではと思います。

それよりも「え~角田町?」というのが殆どの方だと思います。

何故不動産関係者か・・・「角田町8番地/御堂筋」は「東京都中央区銀座5丁目/銀座中央通り」の次に全国で2番目に路線価の高い所です。

「角田町8番地」には「阪急百貨店うめだ本店」があります・・・なぜか「うめだ本店」です。

「かくたちょう本店」とすると路線価が下がるから?

それとも「梅田」に成りすましたほうが上がるから??

写真は「角田町1番地」です。「8番地」の反対東側になります。



右の茶色いビルB1階に「揚子江ラーメン」という細麺の美味しいラーメン屋さんがあります。

因みに、角田町は昼も夜も多くの人を見かけますが、ここに住民票を置いている住人はゼロ人だそうです。

2015/12/01

【浪花光画図録 中央区内久宝寺町】



大阪市中央区内久宝寺町一丁目の建物写真です。

たまたまこの建物は撮影されたのです。

というのも、私の勝手な個人的理由で撮影しないといけない撮影ポイントなので、結果としてこの建物が写り込んだ次第です。(汗)

この建物は公道から全方向眺めることができました。

撮影してる時、まったく感情移入するような建物ではありませんでしたが、この写真を見ていてとても疑念が涌いてきました。

ビルとしては、ごく普通の二階建ての建物です。

しかし、しかし・・・一階も二階も表も裏も右側も左側も窓という窓は鉄格子が設置されています。



玄関と左横側の非常口だけ鉄格子がありません。

そして住所表示板以外何の表示もありません。

中央区内久宝寺町一丁目は大阪でも閑静な高級住宅街です。

ここにこの様な建物は何の目的で建てられたか?

今のところ、何も分かりません。

此花区 夢洲 

大阪湾に浮かぶ埋立地「夢洲」には「夢洲中」「夢洲東」という町名があります。

ごく最近まで海だった所に「夢洲」は埋めたてられたので、町名「夢洲中」「夢洲東」はおそらく大阪市で最新の町名だと思います。

ここへ行くには、写真の右端に写ってる「夢舞大橋」を舞洲から渡る。

あるいは、咲洲(南港)から左端のガントリークレーンの所に繋がっている自動車専用海底トンネルの「夢咲海底トンネル」を行くことになります。

自動車を手放した私には、自前の二本足と自転車が唯一の近代的エコ自家用乗り物です。

先日、自転車で「夢洲」に撮影に行こうとしました。

勿論、自動車でないと行けない咲洲からの上陸は無理なので舞洲から入るはずでした。

家から巨大橋「此花大橋」を渡り、片道10kmを走りきり「夢舞大橋」に着きました。

立派な「夢舞大橋」には幅広な歩道も付設されています。

が、が、が、なぜか橋の入り口前に「歩行者・自転車通行止」の貼紙、そしてバリケードが設置されています。

渡橋不可を知って「超ムカ~! なんでやねん!!」

通行止バリケードを強行突破して侵入をも考えましたが「良き紳士、良き市民であれ!」という天の声で諦めました。

結果、写真は此花大橋から「夢洲」の遠望となりました。



船が接岸してるのが「舞洲」です。

この埋め立て地は2025年に大阪万博が開催されます。

此花区「夢洲」遠望