2017/11/28

大阪一丁目1番地 日刊建設工業新聞記事 


11月1日出版した写真集「大阪一丁目1番地」の紹介記事が

日刊建設工業新聞に載りました。

©日刊建設工業新聞






©日刊建設工業新聞






©日刊建設工業新聞


 
 
 


              no.010 SUPER: A MAGAZINE ON CONTEMPORARY CULTURE / OSAKA




2017/11/10

大阪市内の野生動物・・イタチ

夜な夜なベランダのプランターを掘り起こしベランダを散らかす輩が出没しているようで

した。

結構、野良猫が来てるのを目撃していましたので、懲らしめのためにネズミ捕りを仕掛け

ました。

あくる日、野良猫が捕まったと思いましたらイタチでした。

大阪市内の町中でイタチが簡単に捕獲できるとは。


今回で三回目(三匹目)のご対面です。



イタチはとても可愛い顔をしてるんでペットにでもと思わないでもありません。

しかし、ペットにしたという話は聞きません。

理由は、なんと言うか、戸を開けたとたん強烈な臭いに・・・

捕獲禁止動物なので近くの運河土手で釈放したのですが、イタチが居ないベランダは終日

の悪臭が消えません。

2017/10/31

TOMATO FOTO HOUSE


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赤茄子光画館は写真集発行所 <TOMATO FOTO HOUSE> のプログです。
Here is the blog of the photo book publishing office <TOMATO FOTO HOUSE>.




問合せ先:TOMATO FOTO HOUSE
E-Mail:tomat8kv@gmail.com 
担当:内藤

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VIEW OSAKAシリーズは下記書店でも販売しています。

東京都内:東京都写真美術館 ミュージアムショップNADiFF BAYTEN

大阪市内:建築図書専門店 柳々堂

京都市内:CROSS RHYTHM(クロスリズム)
      古いもの、うつわ、アートと手しごと
http://crossrhythm.net/

AMAZON、楽天などの書籍通販で取り扱い有る様に表示されますが
本書ネット通販はしておりません


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copyright TOMATO FOTO HOUSE /Tomatsu Shiro

2017/08/11

昭和残存 時計の止まった街


かって近隣の工場で働く勤労者が多く住み、大阪市内でも有数の人口密集地であったこの

地区は、工場の撤退で子育て世代が少なくなり高齢者が住む街となりました。

大阪市中心部のようにマンションが建ち若い世代が多く住む街になる様子もありません。





時計屋さんが店を廃業し、看板であった大時計も4時前を指したまま動きません。

午前の街風景ですが・・・

2017/08/05

昭和残存 子供が消えた町

8月の上旬、学校は夏休み。

小学生、中学生は夏休みの宿題で忙しくて街に出てこれないのか。

大阪市街を歩く人々は一見高齢者ばかりの様です。

その内の私が一番若いのでは?と、思ってしまいます。


気温は36℃になると天気予報。

気象予報士は「熱中症対策を!」と叫んでいました。

2017/05/21

大阪市大正区のイスラム風&モスク風な仏教寺院 Part2


以前紹介した大阪市大正区に建てられたイスラム風&モスク風な仏教寺院が

完成したようです。


 浄土真宗本願寺派「浄泉寺」『彌陀院』



彌陀院玄関先の落成慶讃法要の掲示案内状



2017年5月20日の写真です。
表門左側に「彌陀院」と表札がでてます。



2017/05/12

昭和残存 タイムカプセルな大阪

JR大阪環状線外側には第二次世界大戦で大阪大空襲に遭わなかった地域があります。多くは木造住宅密集地として残っています。

戦前からの木造住宅に、戦後建てられた木造二階建瓦葺モルタルアパート(文化住宅)などが混在する地域は人口密集地でもあり庶民の生活が色濃く反映されている地区でもあります。

戦前の昭和と戦後の昭和が混在する木造住宅密集地区に付随する商店街は昭和20年代から40年代にかけて物凄い熱気と躍動感があったと思います。

三枚の写真は現在平成の大阪ですが、映画のセットのような昭和の匂いが残っています。


 街で見かけるのは高齢者が多いです。

 お風呂屋さんも結構残っています。

 商店街です。
殆どの商店が閉まっています。
貸し店舗の案内がありますが案内看板自体が年代物の様になっています。

 飾り付けが昭和の面影?



 残念ながら、これらの木造住宅密集地は、若い子育て世代が少ないようです。


そして、玄関や郵便受けがガムテープで塞がれていたりして
結構空き家が目に付きます。

 


大阪市はこれら老朽木造住宅密集地の防災・減災対策推進に、
住宅立替支援をしています。

いずれマンションなどの防災住宅になり、
近い将来、街の姿が大きく変わるとのでしょう。

 こうした昭和の匂いを残す静かな地域こそDEEP OSAKAだと思いますが・・







2017/04/29

「都市のスポンジ化」

地方都市ばかりではなく、大阪市も空き家や空き地が不規則に発生し

空洞化する「都市のスポンジ化」が進んでいるようです。





上の写真はJR、私鉄、地下鉄の駅が近くにある木造住宅密集地です。

袋小路を入ると奥に空き地がありました。


下の写真は、また別の場所ですが、路地を入ると空き地がありました。

古い住宅には「売り家」の不動産看板が掲げてありますが。

右奥に見える路地は人一人通れる程度の幅でした。


少子高齢化は即人口減でもあり、必然的に空き家が増えることになると聞きました。

空き地に、新たな住宅が建設される、古い住宅が建替えられる・・・

昔の賑わいを取り戻すことが出来るのを期待するのは現状難しいかもしれません。


2017/04/18

大正区のモスク様イスラム風寺院は仏教系の寺院!?

大阪大正区は沖縄の風情があります。

そんな大正区にイスラム風モスク寺院が建設されています。

写真を撮影した時は完成間近?な様子でした。




大正区を夕方散策していていると時々沖縄の三線や島歌が聞こえてきます。

そんな大正区で、イスラム系の人を見かけた事がないのに。

このモスク寺院が完成するとコーランを唱和する声が聞こえてくるのでしょうか?

このモスク寺院を始めて見た時、ナンダカンダと大正区も国際都市になってきたんだと思いました。

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後日、この建物が『浄泉寺千島院(仮称)』という施設だと聞きました。

浄土真宗本願寺派「浄泉寺」さんが施工主だそうです・・・

2016/09/01追記

ある方から築地の本願寺もモスク調です。本願寺派は、どこもこういう感じ?

http://tsukijihongwanji.jp/

と教えていただきました。

コーランではなく「正信念仏偈」のお経が聞こえてくるんですね。

2016/09/02再追記

下の写真は写真集「VIEW OSAKA THE DOME」に収録したものです。

この 『浄泉寺千島院(仮称)』近くのマンション最上階から見た風景です。

なんとなくモスクの様に見えてたんですが、意外と仏教に近い風景?



2019/10/14追記



2017/03/30

昭和残存 瓦葺き木造モルタル二階建住宅(文化住宅)

瓦葺き木造モルタル二階建住宅は戦後間もない日本の独特な住居となりました。

労働集約型産業地帯近くに労働者の住宅として、日本各地に普遍的に建てられました。

関西ではこの住宅を「文化住宅」と名づけられ一般名詞?になっています。

写真集「VIEW OSAKA HOUSES」はこの「文化住宅」の多くを掲載しています。

写真のように狭い敷地、狭い通路で建てられた「文化住宅」が殆どです。


正面から正対撮影できる「文化住宅」は少なく,真正面から正対撮影できる「文化住宅」は珍しいです。


瓦葺き木造モルタル二階建住宅(文化住宅)は、昭和という一つの時代の遺産であり、
将来同じような木造住宅が建てられることは無いとおもいます。

2017/03/24

大阪市の耐震・密集地市街整備(2)

大阪大空襲に遭わなかった地域は古い住宅が残っていたという事ですが、戦後70年過ぎればやはり当時の木造住宅の老朽化は避けられないのでしょう。




大阪市は積極的に老朽木造住宅密集地の減災・防災に向けて建替えを推奨しています。

老朽木造住宅密集地で育った若い人は、新しい住宅を求めて街を離れていくようです。

結果、後期高齢者の割合が特段に大きくなるようです。



かっての木造住宅密集地の建物は撤去されました。




跡地には若い人を呼び戻す為に近代的なマンションが建てられるのでしょうか。

昭和の匂いが少しづつ消えていきます。



2017/03/04

大阪市の耐震・密集地市街整備

大阪市は「耐震・密集地市街整備地」として10地区を選定し、積極的に老朽木造住宅の建替え補助を推進しています。

これは、4m未満の狭あい道路に面した昭和25年以前に建てられた木造住宅の解体費の補助などです。現在では更に補助の基準緩和がなされています。

細い路地に向かい合わせに立つ長屋や賃貸木造アパートなどが軒を連ねています。
地震や火事になっても消防自動車・救急車が入れないようです。




フェンスに囲まれたこの更地には沢山の老朽木造住宅が路地を挟んで有りました。まだ残っている一軒の建物の壁に軒を連ねていた長屋の跡が見受けられます。 ここには奥に見えるような鉄筋高層集合住宅が建つのでしょうか。



路地の両側に建っていた木造アパートの左側には防災型住宅?が建ちました。白いフェンスが無ければ充分に消防自動車が入れそうです。


古い木造住宅が建っている地域は懐かしい昭和の匂いがしますが、安心・安全な生活には不向きです。

密集地市街は近い将来、耐震・耐火に配慮された高層集合住宅に置き換わっていくでしょう。

2017/02/06

タワーマンションと路地

大阪市内中心部の駐車場などの広めの更地に超高層というかタワーマンションが建ちます。

景気が良いというか需用があるから建つのでしょうね。


大阪市内中心部で、路地の奥の住宅密集地の地跡にタワーマンションが建ちました。



手前の路地も何時かは更地になりマンションが建つのでしょうか。

余談ですが、超高層タワーマンションで、高層階エレベータを利用する住民と低層階エレベータに乗る住民の間で微妙な感情があると聞きましたが。

2017/01/28

中央区北浜一丁目1番地

政治関連のニュースで、政策の「一丁目1番地」は・・・と耳にします。

これは、「一丁目1番地」は政策の最重要優先課題という意味なんでしょう。

住所表示で夫々の町名の「一丁目1番地」はトップナンバーを背負う町を代表する特別の意味があると思っていました。

大阪市中央区北浜は大阪取引所を中心とした金融街で、この北浜一丁目1番地はさぞかし賑やかなビジネス街だと想像していました。

が、実際は阪神高速ガード下の建物がある場所でした。



原則、大阪市の町名番地の付け方は、条例で道路、水路、鉄路そして恒久的な施設を町界として、丁目番地の数字順は一番大阪城に近い所から順に決められています。

従って、北浜の大阪城に一番近い「一丁目1番地1号」は写真の場所になります。

政治の世界と実際の町の「一丁目1番地」の意味合いは随分違和感があります。

2017/01/23

大阪市の町界事例  「街区方式」と「道路方式」

町界(町名)は道路、鉄路、水路そして恒久的な施設で決められる「街区方式」が大阪のルール(条例)だそうです。

欧州のように道路の名前で決める方式は「道路方式」と言われ、日本では殆どないそうです。

でも、大阪には鉛筆で線を引いたような町界が沢山あります。
これは江戸時代の「通り」や「筋」の名前からの道路方式に順ずる町名だと訊きました。(確認はしていません)

 
この町名表示板が町界線を挟んで掲示されていますが、掲示板の高さを揃えない理由は何でしょうかね? 


阿倍野区の事例




中央区の事例




これも中央区 




これは此花区と福島区の区界です。

 もともと道路で区界(町界)があったのが後から鉄路(大阪環状線)が敷設され、その後高架工事の関係で道路が閉鎖されたのかもしれません。

    写真の左側西九条標識下の←があります。
ここから此花区のようです。




2016/12/24

空缶集め

師走の大阪市内

生活道路で見かけた空缶集めの人。

お天気が良いのに傘?

日焼け防止の傘ではないですよね。



アルミは電気の塊といわれます。

アルミ缶1kg100円で引き取ってもらえるそうです。

資源のリサイクルに貢献してるんでしょうね。


2016/11/30

昭和残存 西成区 山王町 天下茶屋北

西成区の山王町と天下茶屋北の写真です。

このあたりは大阪でも独特の雰囲気があります。

が、近年は労働者の高齢化により昔のような風景は少なくなりました。

今ではこの町全体が綺麗になってきたと思います。


山王町の花街は中国からの観光客が増えたと訊きます。


写真は天下茶屋北の商店街です。

このあたりの飲食店は日本人経営者から中国人が経営する店が増えたと報道で知りました。

2016/11/16

大阪城の住所・・大阪一丁目1番地?

大阪市の住所は夫々の町名に一丁目とか一番地とか1号といった数字が順番に付けられます。

大阪市の場合、このナンバリングは原則大阪城に一番近い区画から時計回りに数字が割り当てられます。



今、外国からの観光客に大人気の大阪城の住所は?

上の写真右下の建屋に住所表示板がありました。




更に仔細に見ると「大阪城1-1」と表示されていました。


大阪城の住所は「大阪市中央区大阪城一番地1号」です。丁目は有りません。

参考までに、あの世界遺産の姫路城の住所は「兵庫県姫路市本町68」です。

2016/11/02

大阪市立小学校 秋の運動会

大阪市内の市立小学校運動会。

少子高齢化社会ではなく少子高齢そのものの社会に突入したと言われています。

大阪市内に住む孫の小学校運動会に行ってみると凄い児童の数です。

写真は白組と赤組の一年生、二年生です。




 この写真では、これが全校半分の児童です。

この校区ではマンションが沢山建ち、そして空き地ではマンションが建築されています。

郊外から都心へに住民が回帰しているのが原因と聞きました。

既にこの小学校の収容生徒数は満杯となっていて、この先の児童増加に対応するのに行政は大変の様です。

居住の自由が保障されている日本で、過疎化が進む地区から都市への人口集中を抑えるのは難しいのでしょう。



2016/10/22

大阪市の地下街 曽根崎新地一丁目の堂島地下街1番地?


大阪市には大まかに9ヶ所の地下街があります。

◆NAMBAなんなん     <なんなんタウン>(旧ナンバ地下センター)
◆ホワイティうめだ   <梅田地下街> (旧ウメダ地下センター)
◆あべちか       <アベノ地下街> (旧アベノ地下センター)
◆なんばウォーク    <虹のまち>(旧ミナミ地下センター)
◆コムズガーデン    <こむず地下街?>(都島区にある)
◆ドージマ地下センター <堂島地下街>
◆ディアモール大阪   <大阪駅前ダイヤモンド地下街>
◆大阪駅地下街     <梅田地下街>
◆クリスタ長堀     <長堀地下街>

特に、大阪駅南側の地下街(梅田地下街、堂島地下街、大阪駅前ダイヤモンド地下街、大阪駅地下街)は境界がはっきりせずトテモ複雑で、長年大阪に住んでいても迷います。

同じような所をウロウロすることが多いのではないでしょうか?

でも地下街の壁などをよく見ると夫々の地下街名とその真上の地上の町名が分かるようになっています。


写真の地下街の地上は曽根崎新地一丁目で堂島地下街1と表示されています。


非常出口の表示版右側の壁に住所表示板が掲載されています。




地上の町名番地が分かれば今何処にいるかわかる(ハズ?)ですね。


でもこの雑踏に呑まれると難しいかもしれません。

この場所の真上の地上は四橋筋の道路で道路東脇の住所は曽根崎新地一丁目4番地です。

2016/10/12

大正区 木津川の阪神高速西大阪線橋梁下

阪神高速西大阪線と国道43号線が並行する木津川橋の下部です。

上部の高速道路、国道は自転車、歩行者通行不可です。

が、橋梁の下には歩行者、自転車専用通路があります。



この通路から木津川下流方面は、アーチ型水門と渡船が望めます。



季節、時間、天候により結構写真撮影向きだと思います。





渡船から眺めた水門と背景に高速道路・国道が見えます。