2018/07/22

大阪市城東区の一丁目1番地

 江戸時代初期には、現在の地名のもととなる村々がほぼ成立していましたが、淀川と大和川の合流点に近く土地が低いため、昔から数え切れないほどの洪水に見舞われていました。しかし、宝永元年(1704年)に大和川が現在の流路に付け替えられてからは、洪水が減少し、旧大和川の河川跡には、新喜多新田・左専道新田・布屋新田などが開かれました。(城東区HP参照)
 政令指定都市の全行政区の中で最も人口密度が高い。近年、区の西部及び北部で高層マンションの建設が盛んになっている。(Wikipedia参照)



中央 Cyuo




古市 Furuichi




蒲生 Gamo




放出西 Hanaten-nishi
放出をハナテンと読める人は知識人です。



東中浜 Higasi-nakahama




今福東 Imafuku-higashi




今福南 Imafuku-minami
地図で確認しても一番地はこの運河の中のようです。




今福西 Imafuku-nishi




森之宮 Morinomiya




永田 Nagata




中浜 Nakahama




野江 Noe




成育 Seiiku




関目 Sekime




鴫野東 Shigino-higashi




鴫野西 Shigino-nishi




新喜多 Shigita




新喜多東 Shigita-higashi




諏訪 Suwa




天王田 Ten-noden
当初天皇田だったようですが後に天王田と改められた。
天皇田と称したのは、当地が用明天皇を祀る
鵲森神社の神領であったいわれています。



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