2023/03/13

東松至朗写真展「VIEW OSAKA THE DOME あれから10年」

 <写真展概要>

大阪ドーム(現京セラドーム大阪)が完成した時、銀色に輝くドームは遥か遠い星からやって来た飛行物体を思わせ、下町に明るい未来を予感させてくれた。そして地元は地域大発展の主役をドームに期待した。

しかし、ドーム内でプロ野球が行われても盛大なライブコンサートが開催されても、ドームは地元の主役になる事もなく息を潜め静かに鎮座まします不思議な巨大造形物のままである。

2013年に写真集「VIEW OSAKA THE DOME」を出版した。

2023年出版10周年を機に10年前の写真と同じ場所から10年後を撮影し、10年前と10年後の写真を並べ「あれから10年」と題した写真展を開催します。

大阪市内の下町界隈等からドームを眺めた写真に、大阪浪花10年の「街景の移ろい」を楽しんでもらえたら嬉しく思います。


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<ギャラリー「ソラリス」>紹介記事より

大阪の中でも西側のエリアは今なお、昭和の雰囲気が色濃く残る下町の代表とも言えるエリアです。

そんな大阪の西側の風景を撮り続けている写真家・東松至朗が10年前の2013年に発表したのが、西区の京セラドーム大阪とその周辺を被写体とした「THE DOME」です。東松にとって1作目となる今作は、町のどこからでも目に入る巨大なドームの姿を遠く、近く、さまざまな場所から撮影した作品になっています。

大阪の下町に居座った大きな生き物のようなドームの姿は、町並みに溶け込むことのない異質な存在でもあり、時になんとも言えぬユーモラスさをも見る者に感じさせます。

今回の展覧会「VIEW OSAKA THE DOME あれから10年」は、出版10周年となる今年、10年前に撮影したのと同じ場所・アングルからふたたび撮影を行い、それぞれの写真を対比するように並べた展覧会となります。10年を経て、変わらぬドームと、変わりゆく町の姿をどうぞご高覧ください。

<出版>

2013年 2月 写真集「VIEW OSAKA THE DOME」出版

2014年 6月 写真集「VIEW OSAKA RIVERS」出版

2015年 7月 写真集「VIEW OSAKA HOUSES」出版

2017年11月 写真集「VIEW OSAKA 大阪一丁目1番地」出版

2019年 4月 写真集「VIEW OSAKA REMNANTS 1926-1989 昭和残存」出版

<配布DM>

2023年2月28日より大阪心斎橋「Gallery Solaris」で東松至朗写真展「VIEW OSAKA THE DOME あれから10年」を展示します。(入場無料)


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<会場風景>


             会場入り口看板




会場入り口





               

               写真集も展示しました。




               壁に赤いシールが付きました。



               撮影OKです。




                

                終了しました。




2022/11/17

大阪市街景  あれから10年 正連寺川にかかる橋「千鳥橋」

 大阪市街景  あれから10年

正連寺川にかかる橋「千鳥橋」
2012年11月14日  15:09



2022年11月12日  14:36

10年前正連寺川は干し上がって川底に多くの重機やダンプカーが動いていました。阪神高速2号淀川左岸線の川底トンネル工事でした。その後、川は完全に埋め立てられて正連寺川公園として市民の散歩コースになっています。千鳥橋も名前だけが残り普通の道路になっています。
10年前、千鳥橋から視た左側奥に5階建ての公団住宅が写り込んでいました。10年後には同じ場所に11階建ての公団住宅が建て替えられいます。
千鳥橋や正連寺川も名前だけが残りました。

2022/09/30

大阪市街景  産婆さん  あれから10年 消えた昭和

 大阪市街景    あれから10年 消えた昭和

電柱だけが頼り
大阪駅(梅田)に近い下町。大阪大空襲に遭わずに残った下町。
昭和の面影を残す町屋があっけなく近代的な集合住宅になりました。
2012年10月02日 11:42




2022年09月30日 16:39



町屋の玄関先に掲げられた「赤い街灯」は交番ではありません。
私の不確かな記憶では、産婆さんが待機している家だった?
産婆さんが待機している時は「赤い街灯」が灯されていて
産婆さんが外出・不在の時(お産に立ち会っている時)は消されていたと訊きました。
また、玄関先の小さな自動販売機は関連した名残かもしれません。
自宅で生まれ、自宅で亡くなる事はあり得ない時代になりました。
ネットで町屋の「赤い街灯」と「産婆さん」を検索をしても見つかりません。
町屋の「赤い街灯」の事をご存知の方が居られたらお教えください。
View OSAKA HOUSES


2022/09/26

大阪市街景   あれから10年 「水の都大阪」

 大阪市街景   あれから10年

「水の都大阪」

2012年9月21日   9:53




2022年9月25日  14:43


中之島の最西端です。右側の橋が土佐堀川に架かる端建蔵橋、右側の橋が堂島川に架かる船津橋です。堂島川と土佐堀川が合流して安治川となります。
白いビルが31階建ての「中之島センタービル」です。
10年の間に多くのマンションやビルが建ちました。

VIEW OSAKA RIVERS

2022/09/08

昭和残存 大阪の共同井戸(2)

大阪市は1945年3月13日深夜から翌日未明にかけてアメリカ軍による最初の大阪空襲が行なわれ、その後、7回空襲が行なわれました。

それでも空襲による被害が免れた地域がJR大阪環状線周辺部にありまあす。
この被害が無かった住宅密集地は今でも戦前の雰囲気を残しています。その一つに、昭和の始めに活躍したであろう共同井戸が残っています。

現在、大阪市の水道普及率は99.9%(平成27年)なので、共同井戸が生活用水として利用する必然性は無いと思われます。

大阪市内で見かけた共同井戸を紹介します。

 お地蔵様の祠とセットでした。
現役です。

 まだ現役の様です。

 これもお地蔵様の祠があります。
井戸水が出ました。

 現役で頑張っています。

 汲み上げポンプではなく、バケツを下ろして水を汲み上げます。
バケツが二つあることからよく利用するんでしょうね。

 利用されて無いようでした。

 パイプが井戸から壁を通ってました。
電気ポンプで使用?
コンクリートで蓋されてました。

井戸水が出ました。
住人がいなくなった町の井戸は何れ埋め戻されるのでしょうね。

邪魔でしかないようです。

 現役の様に見えましたが、ポンプの下部が破損していました。

 四角の井戸。これはバケツで汲み上げます。

 住人にお聞きしたら、子供が落ちると怖いのでと
頑丈にプロテクトされたようです。
ブロックがあるところです。


 水道栓があるので井戸は使ってなさそうです。


 バケツの紐を見ると随分短いので、浅い井戸なんでしょうね。


 よく視ると汲み上げポンプの台座部分を残して壊されていました。


 何時でも現役復帰できるよう丁寧に手入れされてました。


 井戸にすれば、水道栓が凄い嫌味なんでしょうね。


四角の井戸
バケツに紐が無いので、もう使わないのでしょうか?

 井戸に鉄製の蓋がしてあります。


 袋小路の行き止まりにありました。


 猫とか犬が嵌るんでは? 
四角い台はかってお地蔵様の祠があった?


 手前の石は洗濯板の代用になった?


 大きさが他の井戸と同じなので・・・多分井戸の痕跡か?


 もう使わないので・・こうなりました。


 完全に井戸は埋め戻されていません。


 ポンプの頭が壊れてました。


 袋小路の行き止まりにありました。
台代わりに使われています。
水道があるから必要なくなったようです。


 これは東京中央区で見かけました。
ポンプが変わった形と思うんですが、東京では普通の形なんでしょうか?


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2017年4月25日:追加です。 

 マンホールのようですが、地面に合わせて蓋がされてました。
この袋小路入り口は車が通れる幅がありません。
タイヤが嵌る心配がないのでこれで良いのかも知れません。


コンクリート製の規格品?が多い中、珍しいレンガ造りです。


 二枚重ねの蓋が不安定ですね。


 木の蓋が丁寧に作られています。


大正区の共同井戸跡

 共同井戸として一回り大きいようです。
いずれ埋めたたてられるんでしょう。

同上の共同井戸跡(2024年9月)


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2017年5月18日追加

左隣がお寺さんでした。

水が直ぐ出ました。現役です。

袋路地にありました。
重石が無いので今でも水を汲んでるんでしょうか。


これも水が出ました。

随分な重石です。蓋が凹んでいました。

電動ポンプで使ってる様に見えました。

近所の方に共同井戸の跡だと教えていただきました。


いくら井戸が埋められていると言って・・
マナーを守りましょう。

完全に埋められていました。


家を建て直した時、既に共同井戸は使われていなかった?


もう埋められて大きな植木鉢状態でした。
直径は90センチ強で
戦前だと・・『半間(はんげん)』(90.9センチ)?

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共同井戸は浅いので地表の不純物などが浸み込み
今では飲料水など生活用水として利用は難しいようです。

大災害時には電気も水道もストップする可能性があるので、
手押しポンプの共同井戸の設置があるととても役に立つでしょう。
その為には日頃から水質検査などの衛生面の安全を担保するのが重要でしょう。




大阪市西区は大阪大空襲で殆どが焼けてしまったそうです。
が、辛うじて焼け残ったところがあります。
路地の両面に木造長屋が建ってます。
路地左側建屋の間に共同井戸があります。

建屋と建屋の間に共同井戸があります。
奥に水神さんと思しき祠が有ります。


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大正区

「共同井戸」はレンガ造りです。

路地入口