2018/07/24

大阪市港区の一丁目1番地

大阪市港区は、戦前は大阪市で最も人口の多い区でした。大阪港もあり、大阪大空襲でもっとも被害の大きな地域でもありました。戦後は地下鉄中央線や国鉄大阪環状線が通り便利になった。大阪港はその中枢機能を天保山から此花区南港(咲洲)などに移したが、天保山周辺はウォーターフロント開発で海遊館などが誕生しレジャー地区に変貌しつつある。(Wikipedia参照)



弁天 Benten
JR・メトロの駅名は「弁天町」ですが、町名は「弁天」です。




築港 Chikko





福崎 Fukuzaki





市岡 Ichioka





市岡元町 Ichioka-moto-machi





池島 Ikejima





石田 Ishida





磯路 Isoji





海岸通 Kaigan-dori
左の建物は海遊館です。
ここには日本一低い山「天保山」がそびえてます。





港晴 Kousei





南市岡 Minami-ichioka





三先 Misaki





波除 Namiyoke





田中 Tanaka





八幡屋 Yahataya





夕凪 Yunagi




【著作権に留意ください】

2018/07/23

大阪市此花区の一丁目1番地

区の名前を巡っては各地域がそれぞれの地元の地名を区の名前にしようとした。結局、王仁が詠んだとされる難波津の歌(「難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」)から「此花区」という名に決まった。
 此花区は大阪市の中部西端に位置しており、内陸部は北側が淀川、南側は安治川に挟まれ全域がほぼ平地となっている。西側は大阪湾の埋立地となっており、沖合に人工島の舞洲と夢洲がある。(Wikipedia参照)




朝日 Asahi





梅香 Baika






伝法 Denpo






北港 Hokko
USJへの観光バスが連なっています。




北港緑地 Hokko-ryokuchi
埋立地「舞洲」
2008年大阪オリンピック会場予定地でした。




北港白津 Hokko-shiratu
埋立地「舞洲」
派手な建物はゴミ焼却場です。




春日出北 Kasugade-kita





春日出南 Kasugade-minami





春日出中 Kasugade-naka





西九条 Nishi-kujyo





桜島 Sakurajima
大坂城に一番近い所が一丁目1番地ですが、
例外が有るのは世の常のようです。
町内に人気のUSJが有ります。





四貫島 Shikanjima





島屋 Shimaya





高見 Takami





酉島 Torisima





常吉 Tuneyoshi





梅町 Ume-machi





夢洲東 Yumeshima-higashi
埋立地「夢洲」




夢洲中 Yumeshima-naka
埋立地「夢洲」
一面草原の町内です。
大坂万博の会場予定地です。



【著作権に留意ください】

2018/07/22

大阪市城東区の一丁目1番地

 江戸時代初期には、現在の地名のもととなる村々がほぼ成立していましたが、淀川と大和川の合流点に近く土地が低いため、昔から数え切れないほどの洪水に見舞われていました。しかし、宝永元年(1704年)に大和川が現在の流路に付け替えられてからは、洪水が減少し、旧大和川の河川跡には、新喜多新田・左専道新田・布屋新田などが開かれました。(城東区HP参照)
 政令指定都市の全行政区の中で最も人口密度が高い。近年、区の西部及び北部で高層マンションの建設が盛んになっている。(Wikipedia参照)



中央 Cyuo




古市 Furuichi




蒲生 Gamo




放出西 Hanaten-nishi
放出をハナテンと読める人は知識人です。



東中浜 Higasi-nakahama




今福東 Imafuku-higashi




今福南 Imafuku-minami
地図で確認しても一番地はこの運河の中のようです。




今福西 Imafuku-nishi




森之宮 Morinomiya




永田 Nagata




中浜 Nakahama




野江 Noe




成育 Seiiku




関目 Sekime




鴫野東 Shigino-higashi




鴫野西 Shigino-nishi




新喜多 Shigita




新喜多東 Shigita-higashi




諏訪 Suwa




天王田 Ten-noden
当初天皇田だったようですが後に天王田と改められた。
天皇田と称したのは、当地が用明天皇を祀る
鵲森神社の神領であったいわれています。



【著作権にご留意ください】