明治19年ではまだJR大阪環状線も南海汐見橋線も敷設されていません。
勿論、国道26号線も。
というか、明治時代の現西成区は村が点在する長閑な田畑が広がっている純農村のようです。
たった70年で村が町に大きく変化しているのがわかります。
西成区も1970年代に現在の新町名になっています。
地図の古い町名に時代を感じます。
勝間村は現在の千本、岸里、玉出になります。
明治44年に勝間村北側の広大な田畑の区画整理が行われ
今の町並区画が出来ています。
現在の西成区の地図は著作権があるので掲載できません。
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