大阪市は1945年3月13日深夜から翌日未明にかけてアメリカ軍による最初の大阪空襲が行なわれ、その後、7回空襲が行なわれました。
それでも空襲による被害が免れた地域がJR大阪環状線周辺部にありまあす。
この被害が無かった住宅密集地は今でも戦前の雰囲気を残しています。その一つに、昭和の始めに活躍したであろう共同井戸が残っています。
現在、大阪市の水道普及率は99.9%(平成27年)なので、共同井戸が生活用水として利用する必然性は無いと思われます。
大阪市内で見かけた共同井戸を紹介します。
お地蔵様の祠とセットでした。
現役です。
まだ現役の様です。
これもお地蔵様の祠があります。
井戸水が出ました。
現役で頑張っています。
汲み上げポンプではなく、バケツを下ろして水を汲み上げます。
バケツが二つあることからよく利用するんでしょうね。
利用されて無いようでした。
パイプが井戸から壁を通ってました。
電気ポンプで使用?
コンクリートで蓋されてました。
井戸水が出ました。
住人がいなくなった町の井戸は何れ埋め戻されるのでしょうね。
邪魔でしかないようです。
現役の様に見えましたが、ポンプの下部が破損していました。
四角の井戸。これはバケツで汲み上げます。
住人にお聞きしたら、子供が落ちると怖いのでと
頑丈にプロテクトされたようです。
ブロックがあるところです。
水道栓があるので井戸は使ってなさそうです。
バケツの紐を見ると随分短いので、浅い井戸なんでしょうね。
よく視ると汲み上げポンプの台座部分を残して壊されていました。
何時でも現役復帰できるよう丁寧に手入れされてました。
井戸にすれば、水道栓が凄い嫌味なんでしょうね。
四角の井戸
バケツに紐が無いので、もう使わないのでしょうか?
井戸に鉄製の蓋がしてあります。
袋小路の行き止まりにありました。
猫とか犬が嵌るんでは?
四角い台はかってお地蔵様の祠があった?
手前の石は洗濯板の代用になった?
大きさが他の井戸と同じなので・・・多分井戸の痕跡か?
もう使わないので・・こうなりました。
完全に井戸は埋め戻されていません。
ポンプの頭が壊れてました。
袋小路の行き止まりにありました。
台代わりに使われています。
水道があるから必要なくなったようです。
これは東京中央区で見かけました。
ポンプが変わった形と思うんですが、東京では普通の形なんでしょうか?
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2017年4月25日:追加です。
マンホールのようですが、地面に合わせて蓋がされてました。
この袋小路入り口は車が通れる幅がありません。
タイヤが嵌る心配がないのでこれで良いのかも知れません。
コンクリート製の規格品?が多い中、珍しいレンガ造りです。
二枚重ねの蓋が不安定ですね。
木の蓋が丁寧に作られています。
大正区の共同井戸跡
共同井戸として一回り大きいようです。
いずれ埋めたたてられるんでしょう。
同上の共同井戸跡(2024年9月)
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2017年5月18日追加
袋路地にありました。
重石が無いので今でも水を汲んでるんでしょうか。
これも水が出ました。
近所の方に共同井戸の跡だと教えていただきました。
いくら井戸が埋められていると言って・・
マナーを守りましょう。
完全に埋められていました。
家を建て直した時、既に共同井戸は使われていなかった?
もう埋められて大きな植木鉢状態でした。
直径は90センチ強で
戦前だと・・『半間(はんげん)』(90.9センチ)?
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共同井戸は浅いので地表の不純物などが浸み込み
今では飲料水など生活用水として利用は難しいようです。
大災害時には電気も水道もストップする可能性があるので、
手押しポンプの共同井戸の設置があるととても役に立つでしょう。
その為には日頃から水質検査などの衛生面の安全を担保するのが重要でしょう。
大阪市西区は大阪大空襲で殆どが焼けてしまったそうです。
が、辛うじて焼け残ったところがあります。
路地の両面に木造長屋が建ってます。
路地左側建屋の間に共同井戸があります。
奥に水神さんと思しき祠が有ります。
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大正区
「共同井戸」はレンガ造りです。
路地入口