2015/11/19

大阪市福島区 JR野田駅

秋は夕暮れ・・・

JR大阪環状線で大正駅から大阪駅に向かう時、最後尾の車両に乗ると野田駅でこの風景が見えます。



やっぱりこのアングルのドームだと、清少納言ではなくフィリップ・ロスの男が女の体の一部に変身する短編小説を思い出します。

大阪市福島区 JR野田駅で

2015/11/10

大正区大正内港

大正内港は尻無川の河口近くにある川港です。

桟橋からは港大橋、なみはや大橋そして千歳橋が重なって眺めることが出来ます。





ただ、桟橋はとても狭く、先まで行くには平均台を渡る気分です。

そんな狭い桟橋で見かけたのは・・・



確かに、雨が降らないと邪魔な物の筆頭格ですが・・・なるほど。

大阪市大正区大正内港で

阿倍野区 天王寺北町 天王寺南町

大阪市の区の中に、阿倍野区には阿倍野元町、住之江区には住之江、生野区には生野西、生野東、住吉区に住吉、鶴見区に鶴見、浪速区には浪花西、浪速東、平野区には平野、福島区には福島、都島区には都島通などと区名にちなんだ町名があります。

天王寺区にも天王寺町北町、天王寺南町とかが有りますと・・・書こうと思っていたら??



写真に写ってる住所表示板が「阿倍野区 天王寺北町」「阿倍野区 天王寺南町」となってます。




 



掲示・記載ミスか?

なんでやねん・・・ なんで天王寺町北町、天王寺南町が阿倍野区なんやねん!

区外者には分からない理由があるんでしょうが天王寺町北町、天王寺南町を阿倍野区に決めたのは誰や~!

ほんまに、ややこしいと、言いたくなります。

因みに天王寺北町の写真にある看板「寺田町駅商店街」の寺田町は天王寺区の町名でんがな。

阿倍野区天王寺北町、天王寺南町で

2015/11/05

浪花光画図録  難波法善寺


大阪の古い呼称の「なにわ」の漢字の「難波」なんですが・・。

「難波」の由来は色々あるようですが、私は明石海峡から流れてきた海流が上町台地に当たり複雑な潮の流れと潮の干満差が大きく、「潮流が速い」ことから「荒波」で船が難儀するから「難波」いう当て字になったのではと思ってます。

現在では「難波」を「なにわ」より「なんば」と読むことが多いようです。

これは「難波」で船がひっくり返って「難破」するから「なんぱ」そして「なんば」に訛った?
勿論、歴史や学問的な検証をしてません。(汗)

大阪市中央区に「難波:なんば」という町名があります。

この難波一丁目2番地に法善寺「水掛不動」さんが祭られています。

大阪でも有名な観光スポットです。

「水掛不動」【検索】すると沢山の苔の生えたお不動さんの写真を見ることが出来ます・・・是非見てください。

あたかも、阿寒湖のマリモの親玉みたいです。

これは、朝昼晩、休むまもなく参拝の方々がお不動さん全身にお水を掛け、乾く暇もないために苔むしたようです。

人生の色々な難儀な波に人生が難破(波)しないために、波に模した「お水」を掛けてお不動さんに願掛けするのかもしれません。

これも、歴史や学問的な検証をしてません・・独断解釈です。(大汗)

写真は、お不動さんにお参りした後、お食事の楽しみ場所、難波一丁目1番地の法善寺横丁です。



ここ辺りのお店は、包丁一本さらしに巻いて修行する町?

2015/11/04

大阪市木津川落合下渡船

大阪市内の木津川には4箇所の市営渡船が無料で運営されています。

普段、昼間の乗船客は少なくのんびりとした下町風情です・・・

が、突如年齢を重ねたと思われる方々の団子(団塊?)状態の乗船風景がありました。

今日は休日だから??







 


でもお勤めの方々とは・・・毎日が日曜日としか思えないんですが。

乗船定員が40名ほででしたので二回往復してました。

ワンちゃんの乗船写真は昨年12月の小春日和の様子です。



大阪市木津川落合下渡船で